卒業生の声
 
 
 
武田光隆(新)早川太基(仙人)福島陽子鈴木珠生武田光隆(旧)|APU生|


ヨハネ研究の森卒業生 at APU

2010年5月、APU(立命館アジア太平洋大学)に進学した5人の卒業生が、ヨハネで学んだことをどのように活かし充実した大学生活を送っているか語り合いました。

APU写真1
写真左から松中慶太くん(ヨハネ5期生/APU3回生)、丸木徹治くん(ヨハネ4期生/APU1回生)、猪飼悠記くん(ヨハネ7期生/APU1回生)、田中真仁くん(ヨハネ6期生/APU2回生)、鈴木珠生さん(ヨハネ1期生/APU4回生)

松中 今日はヨハネ卒業生である5名のAPU生にお集まり頂きました。今日はよろしくお願いします。 では早速、質問に入りたいと思います。丸木君はAPU生活まもなく2ヶ月経とうとしていますが、どうですかAPUでの学びは?

丸木 そうですね。1回生から結構難しい授業があって、いきなりレポートを40枚とか、50枚書かないといい成績がとれないという授業があるんです。そういうところで、ヨハネで培ってきた言葉を駆使する力というのが活かされていると最近感じています。

松中 どうですか、(田中)真仁くんは?

田中 ヨハネで身に付けたメモをとるという事に関して言うと、今では無意識で自然な感じでメモをとれるようになってますね。それをテスト前とかレポートを書く時にメモを見て、とらえ直す作業に使っています。本当にメモは欠かせないですね。

松中 (鈴木)珠生さんは今どうですか?

鈴木 私は4回生ということもあり、ヨハネで学んだことで今に繋がっていると一番感じるのは、「学びの自分史」ですね。就職活動とかやっていると、やっぱり自己分析しなさいというじゃないですか。それで、4回生の間で、どうしたらいいんだろうみたいな話が出たりするんだけど、私はあまりそういう悩みがないという実感があります。大学に入ってからも、日記をつけていて、今の自分はそういう延長線上にあるから、自分がどういうことをやりたいのかとか自分がどういう流れできているのかというのをあんまり悩みませんね。

松中 なるほど。皆さん、ヨハネで培った力を駆使しながら、大学生活を送っているわけですね。僕の事に関していうと、1回生の頃、ゼミに入って、そこで先輩を通して自分のやりたいことというのを模索する機会を得て、国際学生と一緒に国際学生が働く場所がもっとたくさんあったらいいよねということで、起業を試みました。
それを大学2年の夏休みまでやっていたんですけど、ちょっとそれが駄目になってしまって。でもそれまでの色んな試行錯誤の中で得たつながりで、今新たにインターンシップとして、風力発電の会社で働いています。

田中 僕は、ヨハネの時から持っていた問題意識から、ジャーナリストというのを入ったときに仮の目標に据えたんですよ。それで、1回生の時は英語を本気で勉強しました。入ったときは中学校3年生くらいの英語レベルだったんですけど、今は香港大学に留学できるところまできました。そういう意味で1年生の時はかなり勉強に力を入れていました。
2回生になって変化があって、コミュニケーションとか行動することが大切だと思って、春休みに南アジアに一人旅に行ったりしました。それがきっかけになって、2回生になってからは、新入生を迎える活動をしたりと視野が広がったかなという感じです。

鈴木 私がヨハネとAPUで似ているなと思う事の1つとして、例えば、普通の学校だったら、成績がいい人が優秀だっていう風になるのに対して、APUやヨハネでは、自分から行動起こした人や授業を受けていてもそれから何か自分から発展させる人だとかが、すごく尊敬される場所だなと感じます。自分自身もそのことに刺激を受け、ベトナムにボランティアに行ってみたり、国際問題を扱うサークルで色んな討論をしてみたりしました。
そして、最終的に仕事にどうつなげるかっていう話になるんですけど、そこでAPUで出会ったのが観光でした。観光の中でも、その地域を作る、場を作るっていうことに魅力を感じて、大分県の色んな市町村にフィールドワークに行って、現地の人とこれからこの地域をどういう風にしていこうかっていうことを一緒にやっています。

丸木 APUというのは、文化祭や授業とかで、一体となって一緒にやっていこうというコースだとすごく感じています。でも、一方で、僕の課題というか、僕が目指しているところでもあるんですけど、ただ一体になるとか、そういう風な雰囲気があるような気がしていて。一つになった先にはなにがあるんだっていうのが僕の疑問で、そこで僕がやっているのは、例えば、同じ授業で出会った自分の意見を持った人とか自分の研究に色んなことにつなげられる人と繋がっていこうと思っています。そういう人たちと核になって、一体となっているものにある方向性というか、意思を持たせたい。そういう野望があります。

田中 ヨハネの皆さんも1人1人、今の言葉から何かを受け取って、是非頑張って下さい。





ヨハネ研究の森コース
  ヨハネ研究の森コース第1期生
  (2007年3月卒業)
  鈴木珠生さん
  立命館アジア太平洋大学(APU)3年
  (2009年11月現在)





卒業してもヨハネ生であり続けたい
昨年、今年と、ヨハネを卒業した後輩がAPUに入学してきました。 学内でも頻繁に会う機会があり、ヨハネ生が同じ大学にいるという心強さも感じつつ、お互いに刺激しあっていけたらよいなと思っています。APUでそれぞれが生きて、その営みのなかで高めあっていきたいと考えています。

それがヨハネ魂だと思います。 ヨハネの力はヨハネという環境の中だけで発揮されるものではなく、「どこでもやっていける力」なのだと思います。

だからこそ、APUに来ても、私はヨハネ生であり続けようとしています。ヨハネにいるからヨハネ生なのではなく、「どこにいてもしっかり生きられる力」を目指し続ける人が真のヨハネ生なのだと思うからです。
その一人のモデルでありたいと思うのが私の望みであり、私自身にとっても、ずっとヨハネ生であり続けることは成長にかかすことができません。

APUで良い評価をいただいたとき、いつも心の中で思います。この基盤にある力は明らかにヨハネで身につけたものだということを。こんな風に思える母校を持ったことを本当に幸運に思います。





ヨハネ研究の森コース
  ヨハネ研究の森コース第3期生
  (2006年3月卒業)
  武田光隆くん
  東北大学理学部
  地球惑星物質科学科4年
  (2009年11月現在)



何のために学ぶのか
私は、ヨハネ研究の森のような環境の魅力の一つとして、学びの文脈は自分で作ることができるということがあると思う。この魅力に惹きつけられて、中学時代の私はヨハネへの進学を決めた。

――「自分が好きなだけ学ぶことができる」――
自分の文脈をどんどん構築していって、知ること・理解すること・把握することは何と楽しいことだろうか。

まずは、考えようとする対象に直に触れることで自分の感覚で捉え、イメージを膨らませる。それを一旦表現してみる。そして、もっと違った切り口から対象を眺めたり、或いは他者の捉え方・解釈・表現を知るために文献などを読み進めたりする。
「なるほど、これはこのようになっているのか」という実感を得たときその物事についての知識・理解を自分の中に描き出せたと感じる。
それについて絶えず捉え返しをしたり、それに関連させながら別の物事を吟味・検討したりする。

そうして自分の文脈が作り出されていき、「すごいなぁ、こうなっているのか」と物事に対する驚きや面白さの感動がじんわりと込み上げてくる。この感動が、さらに知りたい、理解したいという好奇心・探究心をかきたてるのだ。

私にとって学びというのは、その連続である。過去の学びの感動が現在の学びの原動力となり、現在の感動が現在の延長上での今後の学びの原動力となっていくのだ。

ただ一方で、自分が居合わせている環境において、やらねばならない事というのがある。学びたいことの一方で、学ばねばならないことがあるということ。

両方をうまくこなしていくコツは、両者を(先述の)「自分なりの文脈」でつなげていくということだ。文脈を見つけるまでは、やらねばならぬ学びはただ淡々とこなしていけばいい。学びには、時としてただ淡々とこなしていくのみ、ということも必要であると思う。

そしてある程度継続していくと、何かが見えてくる。何かが見えてきて、自分の中で新たな世界が突然広がりだしたり今まで自分が興味を持って続けてきた学びと関連付けられたりするときが来る。こうした感触があると、やはり何ともいえない喜びが込み上げてくる。


受験戦争が激しい現代社会において受験勉強が学びの全てであるというような認識は子供たちやその親たちの間で当たり前のようになっていると感じる。また、受験勉強が学ぶことの目的に化している気がする。

それは、社会現象が個人にもたらす錯覚であって学問というのは本来そういうものではないと私は思う。

歴史的に見ても、現在の大方の日本人の学問観というのは非常に珍しい部類に入るのではないか。学問は知識・理解の積み重ねであると同時に、感動の積み重ねでもあるはずだ。しかし、その学びに対する純粋な感動というものをどこかへ置き去りにして、或いは感動の芽を摘んでしまって受験の必要性と照らし合わせて学ぶ内容を取捨選択するのは、本末転倒と言うしかない。

しかし、ヨハネはどうだろう。決してそのような環境ではない。じっくりと感動を噛み締めながら、自己内での発見への驚きと解明への喜びを味わいながら学んでいくことができる「学問を志す者の自由な楽園」であると私は思う。私に言わせれば、ヨハネ研究の森でこそ学びの本質を自分のしかたで体現できると実感している。

ヨハネ研究の森は、その時々において現在の在り方を疑問視してそこから作られてきた。私が入学したヨハネ3年目も試行錯誤の日々であったことが思い出される。清掃、植物の手入れ、キャビネット作りなどを通して全体としての学びの環境づくりをしてきた。

ヨハネには始まりがあり、歴史がある。ヨハネは、最初から出来上がっていたわけではない。むしろ、ヨハネには完全版や完成版はないと思う。常に在り方を問い続けているのだから。
私は一卒業生として、そのことをヨハネ生そして世の中にも伝えたい。

一方で私は、そうしたヨハネの姿を見て自分の生き方を考えるようになった――現在の在り方を問い続け、常に情況に応じて最善を尽くす――。私にとってヨハネという場は、卒業しても尚そこから学んでいくような存在である。そう思えるようなヨハネを、後輩たちに、さらに形作っていってほしいと願っている。