2013年度暁星国際高等学校 卒業証書授与式
2014年3月1日(土)


在校生送辞、卒業生答辞の内容をお伝えします。


在校生送辞

Я искренне надеюсь на то, что все участники коллектива YOHANE будут вместе развиваться, не останавливаясь перед невидимыми преградами и идти вперед, познав истинную суть вещей.

卒業式にさきだち、チャペルで行った、卒業を祝うみことばの祭儀で卒業生と学園に神のご加護があることを、ロシア語で祈ったメッセージです。

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日この日、先輩方は、私たちの大切な故郷であるこの暁星国際学園を巣立ち、新たな場所へと旅だっていかれます。私には、先輩方のその後ろ姿が何よりも誇らしく、そしてたいへん寂しく感じています。

この暁星国際学園で学校生活を送る私たちは、学年が違っても、興味や関心が違っても、この矢那の森という同じ場所で学び、生きてきました。私は、先輩方と共に目を覚まし、共に机に向かい、夕暮れや星空を一緒に眺めながら過ごしてきた日々を、これから一生忘れません。

私には、先輩方が、上下関係だけではない、人と人との関係を私たちと結ぼうとしてくれていることを、強く感じた出来事があります。

寮での生活では、人間関係でトラブルが起きることもあります。そんなとき、私は、目の前の問題を処理することに一所懸命になってしまいがちでした。しかし、先輩が真っ先に行ったのは、まず困っている後輩のところへ飛んでいき、その子を助けてあげる、ということで、問題を起こした後輩をただ厳しく責めたてるようなことは、絶対にしませんでした。

その先輩の姿は、私に大きなショックを与えました。問題を解決するために本当に必要なのは、厳しく注意して間違いを認めさせることではなく、困っている子を助けてあげることだということだということを、私は忘れていたからです。

相手の間違いを簡単には口にせず、むしろ自分の行動とその後ろ姿で物事を伝えようとする先輩たちは、私にとって何よりも格好良く、厳しい存在でした。

先輩たちは、私と一緒に食事し、一緒に笑い、ふざけあうことを許してくれ、そして時には真剣になって私たちの抱える悩みや問題と向き合ってくれました。自分が失敗してしまったとき、泣きながらおろおろしている私の横で、一緒に頭を下げてくれている先輩の姿ほど、私にとって頼もしかったものはありません。





いつも私たちを支えてくれる、守ってくれる先輩方は、私たちにとって空気のように当たり前の存在のようであり、しなやかで優しい両親のような存在でもありました。そして私は、懐を大きく広げて自分を迎え入れてくれる先輩に、いつも生意気なことを言い、平気で頼り切ってきました。

そんな先輩方に感謝の言葉を伝えるのは、実はとても難しいことで、私はこれまで照れてしまって、自分の気持ちを伝えられないままでいます。だから今、この場で、きちんと私の思いを言葉にしたいと思います。

私たちのことを、どの先生よりも、どの親よりも心配してくれたのは、先輩がたでした。今まで、たくさん心配をかけてごめんなさい。

でも、私たちは大丈夫です。この一年間、先輩たちと過ごせた時間のすべてを、私たちはしっかりと大切に使いきりました。だから、先輩たちがこの学園を旅立ってからも、私たちがめげずに先へ先へと足を進めていくことは、私たちを傍らで見守り、育ててきてくれた先輩たちが一番よく知っていることだと思います。

私たち後輩が輝けるようにと、そっと陰で私たちを支え、見守ってくださって、ありがとうございました。私たちも、先輩のようにふところ広くて温かい人になっていきます。先輩たちは、どうか私たちと過ごしてきたいつもの日々と同じように、私たちの先を歩いて、希望の風をつかまえてください。

これまで、本当にありがとうございました。そして、ご卒業、おめでとうございます。



卒業生答辞

今日、暁星国際学園を卒業する日を迎え、私が感謝の気持ちと共に皆さんにお伝えしたいのは、自分がここにいる理由そのものです。

私は中学生の頃から、自分の生きる理由や、いま生きていることの価値について、ずっと考え、悩み続けていました。そして、考えれば考えるほど、その答えが遠くなっていく感覚を、これまで何度も体験してきています。

そんな私に転機が訪れたのは、高校三年生になってからでした。それまで感じてきたものとは異なる感覚が、私の中にあらわれたのです。そのきっかけは、自分が何かを好きになることでした。

私は、寮や学校で共に学び合う仲間たちや先生方のことを、いつのまにか好きになっていたのです。そこに、はっきりとした理由はありません。しかし、思い出してみてください。運動や勉強、歌や演奏など、理由もなく何かを好きになった経験を、誰もがしているはずです。

私は、寮で共に学ぶ仲間や後輩のために何かをしたい、彼らの成長が見たいと感じるようになりました。そして、彼らの失敗や間違いが、まるで自分のことのようにくやしいと感じられるようになったのです。

そう思えるようになった私を、もし過去の自分が見たらと想像してみると、その驚く顔が目に浮かびます。それほどまでに、その感情は、私の人生の中で、異例で、特殊で、特別でした。そしてふと気付くと、いつのまにか私は生きることに対して、大した悩みを感じなくなっていました。

私が得たものは、一人では決して得られない感情です。家族のために、仲間のために、先生のために、その場所のために何かをしたい。彼らと同じ方向を向いて、同じ思いを共有したい。そう思えた時、はじめて、自分がそこで生きている実感が湧いてきました。

私は、人に支えられて生きています。高校3年生という立場や、寮での上級生という立場や、そのほかの様々な、私の立場というものは、すべて他人と共にあることによって成り立っているのです。





私たちが、誰かのために何かをしたいと感じて行動したとき、誰かが、私たちを「高校3年生である」「リーダーである」と認める。そこで初めて、私たちはお互いの関係の中に、お互いの価値を見つけ出すのでしょう。

後輩の皆さん、家族の支えを、仲間の支えを、そして先生の支えを感じてください。きっと人は、他人と支え合うことでしか生きていくことはできません。しかし、それは弱さではなく、私たちの強さです。

現在、地球上には70 億人もの人間が存在しています。それは膨大な数であり、その一人一人の顔をすべて想像することなど不可能だと思えるほどのものです。その人間たちの、ほぼ全てが、何かを次の世代に伝えようとしているのだと想像してみてください。私はこの学園での学びを通して、そのことの素晴らしさを感じられるようになりました。

私自身がそうだったように、人間は、そのひと単体では成り立たないのです。私たちは、他の誰かのために何かをすることで、そして誰かがその思いを受け取ることで、お互いが、お互いの中に、自分の生きる意味を見出しているのでしょう。先生、先輩、両親といった人たちは、まさにそのことを体現する方たちなのだと思います。

私は、他人に支えられて生きています。今ここには、こうしてスピーチをしている私と、それを聞いてくださっている皆さんがいます。そのような、人としての営みに、私は感動し、喜びを感じます。

先生方、共にこの学園で学び、暮らした仲間たち、そして両親。私は、皆さんのおかげで初めて、人としてここにいることができます。そのことに対して私が感じている恩は、どれだけの言葉を費やそうとも表すことはできません。その私の思いを少しでも伝えたいと願い、感謝の言葉をもって、今回の答辞とさせていただきます。

ありがとうございました。