『奇跡の人』 に見る教育の本質
2009年11月6日


私たちは 『奇跡の人』 から何を学ぼうとしているのか

 去る11月4日、私たちヨハネ研究の森の校外学習として、渋谷のBUNKAMURAシアターコクーンで開催された劇 『奇跡の人』 を観劇してきた。
 ヨハネ研究の森では、ウィリアム・ギブソン原作の 『奇跡の人』 という映画を何度も何度も繰り返し見てきた。ヨハネの一期生、二期生は十回、いや二十回を超える回数観ているのではないだろうか。それは、三重苦を負ったヘレン・ケラーがことばを獲得することをとおして変化していく過程に、ヨハネ研究の森が目指す教育の本質が描かれているからなのだ。

 映画 『奇跡の人』 で描かれるラストシーン、ヘレン・ケラーはサリバン先生に連れられてピッチャーにポンプから水を汲まされる。ポンプから出た水がヘレンの手に流れ、サリバン先生はヘレンに指文字でW-A-T-E-Rと綴る。ヘレンは、何百回と繰り返し綴られた「ウォーター(water)」が、この手を流れる冷たいもののことだということが分かった奇跡の瞬間である。この日からヘレンは物には名前があることを知る。
 全てのものには名前がある。そして、それをことばで表し、他の人と共有することができる。そのことを知ったヘレンの喜びが、ありありと描かれていて、何度見てもこのシーンで感動するという人は多いのではないだろうか。
 『奇跡の人』でヘレンが教えてくれることは、「ことば」の重要さだけではない。学ぶとはどういうことなのか。先生とはどういう存在なのか。家族とは。
 私たちは、ヘレン・ケラーがサリバン先生と出会い、共に過ごす中で劇的に変化していった姿から多くのことを学ぶことができる。是非、一度、この 『奇跡の人』 をご家族でご覧になってみてはいかがだろうか。

「ことば」は獲得されるものなのか

 2009年11月6日に行われたセッションでは、二日前の11月4日に観た『奇跡の人』の演劇に関連して、ヨハネ研究の森コース代表である横瀬和治先生は、40年以上も前に初めてヘレン・ケラーを見たときからずっと追い続けているある疑問について、ヨハネ生を前に話をした。「ことばはどのようにして獲得されるものなのか?」と。

私たちはヘレン・ケラーだ!


横瀬 一昨日、『奇跡の人』の劇を見てきて、昨日それがどういう内容だったか、以前に見た舞台や映画とどう違ったのかといった振り返りをしました。いろいろと違いはありましたが、共通しているのは、ウィリアム・ギブソンという人の『ミラクルワーカー(奇跡の人)』という脚本。これは、1956年に出版されて、舞台で好評を得て映画になって、日本にも入ってきました。
私は、1962年に映画ではじめて『奇跡の人』を見ました。このとき私は高校二年生だったのだけれど、それを見て私は凄いショックを受けました。

 ヘレンケラーは見ることも聞くこともできない、話すこともできない。そこから「ことば」を使うことがができるようになっていく。その当時、私は高校生でそれなりに真面目に勉強しているほうだったにもかかわらず、人前で話をしたり、本を読んだりということは全くできませんでした。
 本が読めない、人の話を聞いてもよく分からない、話すこともできない、これも、三重苦と言えるでしょう。ヘレン・ケラーを観たときに、直感的に自分のことだと思って、とても衝撃的だったことを覚えています。これが私のヘレン・ケラーとの出会いです。そして、「よし、自分も奇跡の人になろう」と思い、ヘレン・ケラーを追い続けはじめたのです。
 そして、『奇跡の人』を数え切れないほど繰り返し観て、そこから「ことば」を研究したいと思うようになりました。私もヘレン・ケラーのように言葉を使って読み書きや人と話すことができるようになりたいと思ったから。
 ヘレン・ケラーは、後に、自分の声で話すことができるようになる。しかも英語だけでなくドイツ語やフランス語でも。凄いでしょう。自分の声も聞こえないのに、一体これはどうなっているんだろうと思って、大学に行って一番最初に取り組んだのは音声学でした。
 それからさらに凄いのは、ヘレン・ケラーはラドクリフ大学に入るのだけれど、サリバン先生が大学で講義を指文字で同時通訳をしていた。そこで、サリバン先生が大学の講義の内容がよく分からないとき、ヘレン・ケラーが「それはこういうことなのではないか」って言って、サリバン先生が「そうか!」と分かったというようなことがあったらしい。二人の間でそういうやり取りが始まっていた。共通の理解をお互いに作り上げていく。ヨハネ生も、そういうことを大いにやるといいですよ。


「奇跡」の真相

 本日は、私が常々関心を持っていたことで、『奇跡の人』の映画や演劇で扱われていないところの話をしたいと思います。
 まず、ウォーター以後について。多くの一般の人たちがヘレン・ケラーについて持っているイメージは、盲聾唖の三重苦を克服した人、その程度ではないかと思います。。しかし、実際のところヘレン・ケラーがことばの存在を知って、それからどうしてそのような立派な人になっていったのか。物には名前があると知っている私たちみんながヘレン・ケラーのように凄い勉強をしていくというようにはならないでしょう。
 ヘレン・ケラーの書いた『私の生涯』とサリバン先生が書いた『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』の二冊は、必読書です。是非、きちんと読んで検討してみてください。
 この二冊は、『奇跡の人』を書いたギブソンも当然参考にしているでしょう。でも、サリバン先生が書いた『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』をよく読んでいくと映画の最後のシーン、あのポンプの水に触れて「ウォー・ウォー」とヘレン・ケラーが言うところは、実はそうではなかったということが分かります。あのシーンは、盛り上げる演出上そうなっているのです。ヘレン・ケラーが物の名前を綴ることができるようになったのは、もっと違う仕方で可能になっていったことが分かります。

「ことば」とは何か

 そして、ギブソンの『奇跡の人』では、ヘレン・ケラーは「ウォーター」が分かるまで、ことばは獲得されなかったかのように描かれていますが、これは、本当にそうなのでしょうか?
 サリバン先生の書いた『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んでいくと、「ウォーター」以前の段階で、ヘレン・ケラーがナプキンを首にかけて見せて、サリバン先生にケーキを催促するような場面があります。「ケーキが欲しい」ということをナプキンをつけることを通して表現している。「あるものをそれ以外のもので表す」ことがことばの本質だとすれば、これももしかしたら、ことばの一種なのではないのか。
 ナプキンを通してヘレン・ケラーが言いたいことをサリバン先生は理解できていた。つまりコミュニケーションをすることができていたのです。ことばを、ヘレン・ケラーが孤独に生み出していったものではなく、サリバン先生と一緒に生活をする中で生まれているのではないか。
 だから、「ことばはどのようにして獲得されていくものなのか?」そのことを考えてみてほしいのです。そこから、『奇跡の人』を自分なりに描きなおしてみるととても面白いのです。