私たちはなぜ江戸を学ぶのか?
2012年11月9日(金)
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私たちが「当たり前」と思っているものはいつから「当たり前」になったのか?

去る11月9日(金)に行われたセッションの様子、特に「なぜ歴史を学ぶのか」について非常に興味深いくだりがあります。異学年が一緒に学ぶセッションの様子をぜひ堪能してください。

なぜ江戸を学ぶのか?

河辺(高3) 去年の東日本大震災後に、東京大学の地震研の纐纈教授という人が、あるテレビの映像で「科学を信用しないで下さい」と言っていました。

笠原(主任研究員) 東大の地震研の有名な先生が、東日本大震災の後、もう地震の科学は当てにならないので、自分の頭で考えて下さいと言った。そのことですね。

河辺 僕は昨年度の研究発表会で津波のことを検討していたのですが、いざ検討を始めると、「津波というのはこういうものだよね」というイメージが漠然とあって、今回の津波の被害は、そのイメージが間違っていたために広がってしまったのではないか、と思うようになったんです。

津波ってこんなものだよね、という僕の中の暗黙のうちの当たり前があって、「あんな津波はこない」と思っていました。そういうことが、これほどの被害を受ける要因になっているのではないか。僕たちが「当たり前」と思っているものは、本当は全然違うのではないか、検討し直さなくてはいけないと思い、そこで、「当たり前」はいつ始まったのかを検討する必要があると思ったんです。

笠原 今の私達が「当たり前」と思っていること、日本の犯罪は少ないよねとか、津波は来るけど、堤防があるから大丈夫だよねとか、災害があると助けに来てくれる、いろいろな種類の「当たり前」を私達は持っているけど、その「当たり前」が江戸時代とは違うんじゃないかということですか。

河辺 江戸には江戸の当たり前があったけれど、外国人が入ってきて、それが壊されてしまいました。そのとき明治の人たちは変わっていく環境に我々はどう対応していけばいいのだろうかと考えたのではないか。それが、東日本大震災のことと似ているのではないかと思いました。

明治になって、いろんな違う国と関わらなくてはならなくなった。このような歴史的な出来事があって「当たり前」が崩されたのではないかと、そう思ったのです。

笠原 去年の3月11日で、それまで「当たり前」だと思っていたものがそうじゃなくなったんじゃないかということですか。私はそんなことを考えもしませんでした。これは非常に興味深いですね。つまり、東日本大震災以降、我々は新しい世界に入ったという意識があると。

河辺 江戸時代の人も、明治に入って、それまでの「当たり前」が通用しなくなっってしまった。その時にいろいろな行動を起こしたり、生活スタイルも変わったり。僕たちもそこから学べるのではないか、そういうところに僕たちが江戸を検討する価値があるのではないかと思います。

笠原 江戸時代の人達も、明治に入って自分達の「当たり前」が完全にひっくり返った。東日本大震災以降の我々も、江戸時代に、人々が考え方を変えなくてはいけなくなったことと似ているのではないか、と思ったと。いや、寮長(河辺くんはこのとき寮の寮長をやっている)さすがだな、と思いました。私に刺激を与えてくれました。

みんなそれぞれに江戸というのがどういうものなのか考えがあるでしょう。自分はこう考えるという話をそこここで重ねていくことができればいいと思うんですね。横瀬先生、一言コメントをいただけますでしょうか。


明治に訳語がつくられた

横瀬 この間、江戸の段階で、今我々が話したり、書いたりしている日本語があったのかどうかという検討をしていますよね。

日本語というものはずっと昔からあったように思うでしょう。それと同じで、学校の唱歌や一連の童謡も、ずっと昔からあったんだろうと。懐かしい、心のふるさととして、昔から謡っていたのではないかと。

ところが、それを検討していくと、江戸にはそんなものはなかったということが分かってくるんです。明治を境にして、今使っている日本語も、当たり前に歌っている童謡も明治以降に作られたものなんです。

今当たり前になっている多くのものは明治に日本の外から日本に入ってきて、取り入れられているのです。

明治の前、江戸から突然分断されて、日本語も大きく変化しているんです。いったいどこでどうなったのか。欧米のことばを日本語に翻訳しないと、科学や技術、哲学といったものをを日本にもってくることができなかったんです。そもそもそういう言葉や概念がなかったのですから。

例えば、society、これは明治では、「ソシエチ」なんて言っていたらしいのですが、江戸に「社会」ということばはありませんでした。だから、Societyということばを日本語に訳そうとしても「なんて言ったらいいのか分からない」という状態だった。

明治にローマ字を開発したヘボンさんという宣教師がいた。ヘボン式ローマ字のヘボンさんです。

ヘボンさんが、世界で初めて、和英辞典を作ったんです。ヘボンさんの辞書でSocietyというのを引くと、当時の日本語で、仲間、連中、友達、と出てくる。

「社会」だから人間がたくさんいる。友達、連中、仲間というのとはちょっと違うでしょう。Societyにそういう意味が含まれているんでしょう。ヘボンさんはかなり悩んだと思います。どうしたらいいのかと。

結局は「社会」という、こういうことばが正式に使われて、それがちゃんと受け入れられて定着するのは、明治の半ばになってからのことです。

福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いているけど「社会」ということばはこのときはまだ使っていなかったと思います。「欧米にあるけど、日本にないもの」をどうやって表すのか、当時、ほかの国とお付き合いしていくうえでもこれは大きな課題でした。

日本が文明開化を遂げるためには、英語を日本語に翻訳しなければなりませんでした。けれど、対応する日本語が見当たらないために全く新しいことばをつくりだす必要があったのです。明治のはじめから15年くらいの間に、約1万冊の本が翻訳されているんです。

私たちが「当たり前」に思っていることのほとんどが、明治のあの時期に突然作られているのではないか、その前には全然そういうものはなかったとすれば、いったい、いつどのようにして作られたのか、そして、それ以前はどのような生き方をしていたのか、こういう観点からぜひ検討してみてください。