書くことが学びの達人への道
2012年11月24日(土)
b
a
Writing what you know is a crucial skill at every level.

2012年11月24日ヨハネ研究の森保護者会で、横瀬先生から「書くことが学びの達人への道」というテーマでお話がありました。ヨハネ研究の森の学びの根本である「書き言葉」を身につける。そのことによって、ヨハネ生は本を読み、要約をし、自分の言葉で語ることができる学びの達人へと成長していくのです。

学びの基本は「要約」

横瀬 今日は、「書くことが学びの達人への道」ということで、人間が「読み書き、理解する」ということは根本的にどうやって可能になるのかということについてお話させていただきます。

今、ヨハネ研究の森では、教科書を「要約」するということを日々行っていますが、学校の教科書というのは、小学1、2年生の低学年のころは、教科書の内容は「よく分かる」内容になっているんです。しかし、学年が上がるにしたがって、だんだんと知らない言葉が出てくるようになります。いくら知らない言葉を辞書で調べてもよく分からない、という風になってくる。

中学に入るともっとわけが分からなくなって、高校になると熟語の羅列で読んでもしょうがないじゃないかと思うようになる。だから、それを要約しろといわれても、多くの子は要約しようがないという風になってしまうんです。

要約するというのは、1章なら1章を読んで、そのなかで一番重要な、これが一番のポイントだと思えるところを自分で探すんです。しかし、これが探せない。読むことができていないから。書き手が本当に言おうとしているのはどういうことか。そこを自分の言葉で言い直す、書き直すということができなければいけないんです。

私は、中学2年生のときに、テストが近づいてきて、カンニングペーパーをつくろうとしたことがあるんです。非常に苦労しました。1ヶ月くらいかけて教科書に書いてある内容を要約して、小さな紙に書いてカンニングペーパーをつくっていた。その時に要約のコツのようなものが身につき、教科書のテスト範囲の何を聞かれても、「それはこういうことだよ」と言えるくらいになり、結局カンニングペーパーは使わずに済みました。私はそれで味をしめて以来、徹底的に要約をするようになったんです。

要約を徹底してやっていった結果、私はたくさんの本を一気に読んで、まとめていくということが知らないうちにできるようになっていきました。大学にいくと卒業論文を何人も代筆してあげたりしていました。上に行くにしたがって、非常に成績の優秀なすごい学生だと勝手に評判になっていったんです。



未知のことが読める

私達は文章に書かれているもので、そこに書かれている事柄が、よく知っている、経験している、かなりわかる、関心があるときは、そこに書かれている文章はトントンとつまみ読みのようにして、瞬間的に把握できます。一語一語の単語なり、言葉が読めなくても、文脈から、こういうことを言っているよね、と見当をつけて、理解できるようになっているんです。

学校の教科書は、最初はよく知っている「既知のこと」を扱っているんですが、だんだんと「未知」のことを扱うようになっていく。小数や分数が出てきて、だんだんとわからなくなっていく。最初のうちはだましだましやっているけど、そのうちに知らないことだらけになってお手上げ状態になる。

学校の教科書は、読んで、分からないことが扱われているというのは当然です。分かっていることを勉強するなら学校に行く必要がありません。学校は何をするところかというと、人間が長い時間をかけてつくってきた文化、概念や知識、自分が体験したこともなければ、知りもしないことを言葉で理解したり説明することができるようにする場所なんです。

物理などで「中性子」と言われても見たこともないし、あると言われても確認しようがないものでしょう。何を言っているのか分からないと、ほとんどの人は睡眠学習に入ってしまう。「仮にそういうものがあるんだよ」と仮定して、その上であることが説明される、それが学校です。

「プレモ」という果物があります。大きさは、大人の手のこぶし大で、洋なしのような形をしています。色は地中海色のブルーで、味は・・・と。実は、この「プレモ」は架空の果物です。しかし、実際には存在しなくても、私が今やったように言葉で描くことを通して、「こういうものだろう」という自分なりの理解を作り出すことができるんです。

これは、「アナロジーを駆使する」「類推する」ということを行っているのです。未知のものであっても、自分が知っている具体的なもの、経験、それと似ているものを引っ張り出してきて、それと比べて、「何々のようなもの」として理解していくのです。


「書き言葉」を身につける

自分が知らないこと、分からないことをアナロジーを駆使して理解するということは、「書き言葉」を使うということなんです。ここで言う「書き言葉」とは、声を文字にしたものではありません。「ここにいない人にも分かるような言葉」、「不在」の言語なんです。目の前にいる人に何かを伝えようとするときに、いちいち主語も使わなければ、ましてや目の前にあるものをわざわざその名称で言ったりしませんね。実際には「あれ」を「あぁしてください」などと言って、そこにいない人にはほとんど何を言っているのかわからないことだらけです。親子の会話はほとんどそれですね。

ヨハネ生が人前で当たり前のようにスピーチやプレゼンをすることができるのは、「書き言葉」を身につけていくからです。仲のいい、よく知っている人の間でしか通用しない「話し言葉」ではなく、よく知らない人との間でよく知らないことについて理解をつくりあげるための「書き言葉」が使えること。これはヨハネ研究の森の学びの根本なんです。 では、どうすると書き言葉が身につくのか、ヨハネ研究の森ではそこをどうしているのでしょうか。

ヨハネ研究の森を通過した人は、個人差はありますが、例外なく非常に高い水準で文章を書くようになります。ヨハネ生はみんなここでその訓練をしているのです。

自分が知っている、分かっているというだけでは済まされないんです。それを自分の言葉で言い直す。それがおかしければ、さらに別の言葉で言い換えるということを延々とやっていくんです。

批判、検討するときも言葉を使う。ヨハネ生は経験的にそういうことをするようになるけど、今日本の普通の小・中・高等学校の範囲でそういうことをちゃんと指導するようには、残念ながらなっていません。

学校の教科書は多くの人にとって暗記する対象でしかないのです。読んで説明したり、組みかえたりする対象ではない。それができるためには、ヨハネ生のように毎日の生活のなかで、見たり、聞いたり、考えたり、経験したことを自分の言葉で要約したりするということが普段から行われないといけません。多くの学校では、それをさせないでおいて、突然「要約せよ」、となってしまい、かつての中学2年生の横瀬少年のようになってしまうのです。

ヨハネ研究の森ではみんなちゃんと文章を書くようになる。それは、先生に添削をしてもらって書けるようになるのではありません。自分で書いてみて、理解を共有するという、そういうことの積み重ねの中からできるようになるのです。

人の話を聞いたり、本を読んだりして、自分の頭で考えて解釈する。そしてそこから自分なりの理解をつくりあげていく。それは勝手な我田引水をするのではありません。今ここにいない人とも共有できるような理解をつくりあげていくということなのです。

ヨハネ研究の森では、日々そういう訓練をしています。「書き言葉」、それが学びの極意なんです。

ヨハネ研究の森から大学に行った生徒に共通して見られるのは、「私はなぜこんなに評価が高いのだろう?」と、本人にとっても不思議なくらい良い評価を受けることです。 実は、「書く」訓練は、抽象的な未知の事象を理解する「学びの能力」を飛躍的に高めているのです。