【ヘレン・ケラーの思考と認識】
「ヘレン・ケラー」一年前、初めてこの人をテーマにすると聞いた時、「嬉しい」と思った事をぼんやりと記憶してい
る。けれども、以前は、「ヘレン・ケラー」については特に意識していなく、彼女の話を聞いて「すごい」や「羨ましい」
と思った程度である。
だが、今はヘレン・ケラーといえば「サリバン先生に助けられ、闇に光を得られた人」そして、「忍耐力と精神力に溢
れている人」という言葉が真っ先に思い浮かぶ。そして、ヘレンが、言葉を獲得し「ウォーウォー」と言ったシーンが頭
に広がってくる。
私は、この一年ヘレン・ケラーをテーマとしていろいろな事を行っていき、とても深い感動を覚えた。そしてそれと共
に、多くの疑問を持ち、その中から疑問の数と同じくらい多くのことを学んだ。だが、まだ解けていない疑問、もっと追
及できる疑問がいくつかあった。なので、このレポートでは、その疑問についてを書いていくこととしたい。
第1章 ヘレン・ケラーの思考
第2章 言語の習得
・コミュニケーションとヘレン
・ヘレンの話し方
第3章 色の認識
第1章 ヘレン・ケラーの思考
「へレン・ケラーは、言葉をどう認識し、それをどう思考していたのだろうか。」
この疑問はヘレン・ケラーに関するものを読んだ人、見た人、あるいは聞いた人が必ずといってよいくらい考えることで
あろう。 私もこの疑問を持った方々と同様にこの事に強く関心を持っている。 ので、この疑問を元に「思考」を重要
視して、この「へレン・ケラーの思考」を、このレポートの第1章として書いていきたいと思う。
ヘレンの思考を解説しようとしていくと、必ずいきあたるのが言語を習得したとき、つまりヘレンが「ウォーター」の
意味が分かった時である。 あの時のへレンの思考を大きく5つに分けてみると
@冷たいものが手の上を流れている
Aいつもの女の人が「W−A−T−E−R」と綴っている
Bこの「W−A−T−E−R」というのはこの冷たい物の名前なんだ
C何か忘れていたものがよみがえってこようとしている気がする
Dもっとほかの名前も知りたいと言うようになる。
これをもう少し詳しくすると
@まだ認識できていない。分かっているのはつめたいものがながれているというだけ
A@と同様。ただ分かっていることが、もう一つ増えていつもの女性が片手に「W−A−T−E−R」と綴っているとい
うことが分かっている
Bはっきりと「ウォーター」という言葉の意味を認識した
C昔おぼえたものが蘇ってこようとしている
D好奇心がわいてくると言うようになる。
こう解説していってみると、大きく「@A」「B」「CD」と分けられる事がわかってくる。
@AがBのための思考。Bはこの思考の中心。CDは、Bが動いた思考と。
ではここからは、この3つに分けた思考を3つのうち@AとCDの2つについて書いていきたいと思う。
・ヘレンの思考〔@A〕
この、@Aの思考は、先ほども書いたとおりBのための思考なのだが、この思考はまだ言葉の意味を認識していないと
きの思考なので、サリバン先生が初めてつたみどりの家に来たときに「D−O−L−L」とヘレンの手につづったときへレ
ンがした思考と同じ思考なのではないだろうか。その時とったヘレンの思考は、
1、 人間のかたちをしたものが手に触れている
2、 女の人が手に「D−O−L−L」と綴っている
というように。
つまりこの@Aは、へレンが、言葉を認識したためにうまれたBCDとちがいもののなまえを理解していくに当たって
ヘレンが必ずした思考といえるのではないか。
・ヘレンの思考「CD」
つづいてCDだがこの2つの思考はいっぺんに書くことはできないので一つずつ分けて書くことにしたい。
Cは、@Aのようにあまり単純ではないが一番興味のわくところではないだろうか。
私は、このCをヘレンの1,2歳のころの記憶がよみがえったためと考えているが、いろいろなことをつなぎ合わせて
も、その通りだと思う。
ヘレン自身はこのことを「突然私は、何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする
思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。」と書いている。
私はこのヘレンの不思議な感覚について、考えていってみた。するとひとつ考え付いたことがあった。それは、数ヶ月
前の私の体験なのだが、帰省中私は、高熱を出したのでベッドでいろいろなことを想像していたのだが、退屈になってき
たので、ビデオを探しに棚に向かった。そのときはっとして、何かを思い出すような不思議な感覚になったのを覚えてい
る。その後も、このような体験はいく度かあった。
この私の不思議な体験をまとめてみると、「過去によく似た立場になると急にはっとして何かを思い出すような不思議
な感覚になる」ということになる。
これは私の仮説だが、ヘレン・ケラーもこの時、幼いころ水を触り発音したころの立場と同じような立場になり、私の
体験と同じようなことが起こりそれをさきほどのように表現していたのではないだろうか。
私は、このヘレン・ケラーの興味深い2つの思考についてできるだけのことを考えてみたのだがこれではまだ自分で納
得できていない。とくにCについてのところは調べられるところや考える余地がまだたくさんある。なので、今後もこの
ことについて考えていき、レポートという形にして提出できたら幸いである。
第2章 言語の習得
この、「ヘレンの言語の習得」は、ヘレン・ケラーの生涯でもとても有名なところのひとつであるとともにとても興味
深いところのひとつでもあるのだが、ここにはもうひとつ大切なことが隠されている。それは、「サリバン先生が一番力
を入れてヘレンを教育したところ」というものである。この第2章言語の習得は、サリバン先生の教育を3つに分けて要
約と解説という形で書いていきたい。
1、サリバン先生が来たとき 〜 ヘレンが素直になるまで
<要約> ケラー家では、ヘレンのわがままをなおすのには、取っ組み合いのけんかをしなければならないのをしなけ
ればならないのを知っていたので、平和を保つためなら、よろこんでどんなことでも自由にさせた。だが、サリバン先生
はこれを直さないと言語を学ぶことは不可能だと知り、まず服従させないといけないと理解した。だがその結果痛ましい
場面が繰り広げられることとなった。これにはヘレンの両親はがまんできなかった。それは「愛していたから」である。
だからヘレンの両親にはなぜサリバンがこんなことをしているのかわからなかった。
<解説> この要約からサリバン先生側の「愛していたから」と両親側の「愛していたから」があることが分かる。両親
は、「愛していたから」ヘレンに暴力を振るのはよくない、かわいそうだと思い、サリバン側は「愛していたから」ヘレン
を服従させ、教訓を与え、素直な子にしようと思ったのである。これは、どちらが正しいとは私にはいえない。だが、ひ
とつだけ私にも言えることがある。それは、立場によって思いが変わるということである。わたしは、両親側でサリバン
先生が娘のヘレンに暴力を振るっていたら、ヘレンの両親のように必ずやめさせようとするであろう。一方、サリバン先
生側だったら必ずヘレンのわがままをやめさせようとして、ヘレンを服従させようとするであろう。 なので、私は、
必ずしもどちらのほうが良いなどとはいえない。だが、私はどちらかといえばサリバン先生側に賛成である。
2、ヘレンが素直になって 〜 言葉をかくとくした時まで
<要約> ヘレンは、2週間サリバン先生と暮らして行儀がよくなり素直になったので、両親はとても満足していた。
だが、サリバン先生は満足していなかった。このきもちはヘレンも同じだったことであろう。
ので、サリバン先生は必死になってヘレンにことばを認識させようとしていた。だが、綴りは覚えるものの、それが物
の名前だとはまったく分かっていなかった。 だが、ある日2人はスイカズラの甘い香りに誘われて、井戸小屋に行って
見ると誰かが水を汲んでいた。サリバン先生はヘレンの片手を水に触らせ、もう片方の手に、「ウォーター」とつづった。
するとヘレンはことばのいみを理解して、しばらく棒立ちになり、そして、身の回りにあるものの名前全てを聞きたがっ
た。
<解説> この、素直になってから言葉を獲得するまでのヘレンは、この幼児時代のヘレンの花といえるのではないだ
ろうか。このころのことは、第1章ですでに述べているのでとくに書くことはないが、私はこの場面を本で読むととても
ヘレン・ケラーについての興味がわいてくることは述べておきたい。
3、言葉を認識して 〜 「愛とは何ですか」まで
<要約> ヘレンは、言葉を認識してからどんな物の名前でも学びたがった。そしてサリバン先生は、そんなヘレンの
手に並みの子供達に教師や両親が話しかけるようにごく普通に話しかけるようにした。そうする事によってヘレンは、無
理せずに普通の人々と同様に、言葉を覚えていった。
そんなある日、ヘレンがサリバン先生に「愛とは何ですか」と尋ねた。サリバン先生が戸惑っているとヘレンが「愛と
はこの花のにおいのことですか」と言いながらすみれをもってきた。サリバン先生の答えは「いいえ」だった。翌日ヘレ
ンはビーズを糸に通していたときに、糸の通し方を間違えてしまった。そしてヘレンが悩んでいるとサリバン先生がヘレ
ンの片手に力強く「シンク」とつづった。その時ヘレンは「愛」もこういうものではないかと思った。尋ねてみると、
「愛とは、今まで雲の上にあったようなもので、愛がなければどんなことをしても幸福にはなれないのですよ」という返
事が返って来た。この答えはたちまちヘレンの心を刺激し、理解させた。
<解説> この「愛とは何ですか」の部分は、とても美しい場面だと思う。又、ここの場面はヘレンの思考力と想像力を
物語っているのではないだろうか。普通、
「あなたは、手で雲に触れることはできませんが、あめには触れる事ができます。そして、花やかわいた土地が、暑い
一日のあとでどんなに雨を喜ぶかは知っています。あなたは、愛に触れることはできませんが、それがあらゆるものに注
ぎかける優しさを感ずることはできます。愛がなければあなたは幸福である事もできず、その人と遊ぶことも、望まない
でしょう。」といわれただけで、「愛」とは何なのかを認識する事が出来るであろうか。いいや、できないだろう。その
ことから、ヘレンはとても想像力豊で思考力に恵まれていた事が分かる。
このサリバン先生の教育を文章にしてまとめて、見直してみると、とても多くの発見があったように思える。また、言
語についてもふり返ってみることで、また新たに考え直したという所も、いくつかあった。だが、前章と同様にあまり完
璧に出来ているとはいえない。なので、今後も言語について考えていけたら良いと思う。
・コミュニケーションとヘレン
私はヘレン・ケラーの認識と思考をかいている途中小さな疑問がいくつか頭の中をよぎった。そしてその中のひとつが
頭にこびりついてはなれなかったのでそれを「コミュニケーションとヘレン」としてかんたんにまとめておくことにした。
「ヘレンは、通常の人間のコミュニケーションを分かっていたのだろうか」これがその疑問なのだが、私が考えるにこ
の疑問の答えは「イエス」である。なぜかというと、ヘレンは5歳前後のときに母と叔母の唇を交互にさわり自分自身も
唇を動かし話そうとしたからである。このヘレンの行動がヘレンは自分以外の人は口でコミュニケーションをしているこ
とを理解している何よりの証拠になるのではないだろうか。
・話し方とヘレン
ヘレンは音が聞こえないのに、なぜ「笑ったり、泣いたり」というようなことが出来たのだろうか。 通常の子供たち
は、耳から大人たちが話す言葉を聞いていて、ごく自然に話せるようになる。その時にそれと同時に、笑ったり泣いたり
の発音もできるようになっているというのが私の意見だが、ヘレンは、耳が聞こえなかったのである。なのに何故、この
「笑ったり、泣いたり」というのが出来たのだろうか。
まず一番初めに考えられるのが、ヘレンの幼いころの記憶により・・・・という説なのだが、もう一つとても興味深い
説がある。それは、「本能により」という説である。
人間は、笑う時は口を横に開いて嬉しそうにするという本能があるのではないだろうか。その結果、この口のあけ方か
ら「ハッハッハ」と笑うようになったのではないか。この説は非常に興味深い説だが、まだ本当だとは言えないなので、
本当だと証明できれば幸いである。
第3章 色の認識
「ヘレン・ケラーはどう色を認識していたのだろうか」これは、私が持っている「ヘレン・ケラー」についての大きな
疑問のひとつである。
普通、目の不自由な人は色について目の見える人のようには、理解できない。なので、{ピンク=さくら}{緑=草木}
というように理解していく。また、美しい、可愛い、かっこいいなどもたいていは、わからない。 では、ヘレンはどう
だったのだろうか「ヘレン・ケラー」は、どう色を認識していたのだろうか。
サリバン先生の記録によると、ヘレンは言葉の意味を知ってから約八ヶ月後にとても色に興味を持ったと書いている。
サリバン先生はそのとき、
「私は、彼女が色について何か漠然とした感じがある・・・光や音について何らかの印象を記憶している様に・・・の
ではないかしらと思います。生後19ヶ月まで見えもし、聞こえもした子供は非常にかすかながらも最初の印象のいくつ
かを記憶しているに違いないと思われます。」と、とても興味深いことをいっている。私も、このサリバン先生の意見に
賛成である。
以前ヘレン・ケラーのセッションで、へレンの色のことについて触れたとき「私の生涯」に書いてある色のことが話題
になった。このとき私は言われて初めて気がついたのだが、「金色の靄」ならびに「黄色いバラ」などは、盲目の人がわ
かるわけがないのである。だが、ヘレンは文中で、とても正確にこのような言葉を使っている。
さきほどの、「昔の記憶で」という理由で「金色の靄」などという言葉を、使えるようになるのだろうか。「金色の靄」
という言葉は、普通の人でも難しく感じるのではないだろうか。 これについては、私も考えてみたが、どう考えて
もわからないのでいちおう「昔の記憶で」と結論を出しておくが、これについても今後自分で満足のいく結論を出したい。
私はこのヘレン・ケラーをやっていってとても多くのことを学んだ。
「ヘレン・ケラー」この人は、とても忍耐づよく言葉を学んでいった。この人こそ努力の人といえるのではないだろう
か。
「アニ−・サリバンこの人はヘレン・ケラーに言葉を認識させ、いろいろな面でささえていった。この人こそ「愛の天
使」と言えるのではないだろうか。
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